雑・われゆゑに

雑・われゆゑに

 九月ばかりに嵯峨なる女のもとより、濡るる袂のところせきよし申て侍しかば
我ゆゑにぬるるにはあらじおほかたの 秋のさがにて露ぞおくらん

●現代語訳●
あなたの袂は私ゆえの涙で濡れているのではなくて、
秋といえばおきまりの、嵯峨野の露で濡れているのでしょう

・・・

もう一首かけこみ秋の歌です。
経正朝臣集では、数少ない女性との贈答歌になります。
おそらく経正が通っていたのでしょうね、嵯峨に住んでいる女性からの「私の袖は涙でびっちょりよ」というお手紙に対するお返事です。

技巧としては秋の嵯峨に秋の性質(さが)をかけているわけです。
秋の嵯峨といえば露。

  狩人の草分衣ほしもあへず秋のさが野のよもの白露(順徳院)

さらには秋の嵯峨に秋のさがをかけるのも、まあよくあることのようです。

  けふといへば秋のさがなるしら露もさらにや人の袖ぬらすらん(実氏)

しかし!どうなんですか、この歌。
最初は1P漫画でしっとりまとめようかと思い、9月頃から実に3回も下書きをくり返しましたが…
もらっても嬉しくないよな、コレ!? との思いからどうしてもうまくまとまらず、もういいや、有教につっこんでもらおう!と開き直ったら一晩でできました。

だってあなたのために泣いてるに決まってるでしょう!
このしらばっくれたスルーっぷりは一体。
で、この歌をよんだ私は、ああこの人女性に対してはこんなんか、と勝手に納得したわけです。
それともこれは、あなたの思いがそんなに強いとは思いませんでしたよ、と若干謙遜してみせて、そんなことはないのよ、愛してるのよ!とさらに熱烈なやりとりへと発展することを期待しているのでしょうか??
ちなみに女性の返しは

  おほかたの草の上はさもあらん 袂に置くは涙とをしれ

何いってんのよ、涙よ!というわけで…ちょっとキレ気味じゃないかと思うんですが。

まあそんな現代人の感慨はともかく、この歌も同時代の評価は高かったようで、社頭紅葉と同じく、俊成選の治承三十六人歌合に入集しています。
常套手段をきちんとふまえていることが、評価される要因のひとつになるのかもしれません。
さらには鎌倉時代の勅撰集「玉葉和歌集」にも平経正朝臣として入っています。
「千載集」ではよみ人知らずとして名をふせられた平家歌人たちが、「玉葉和歌集」には実名で登場してくるのですね。
幕府への反感もあるのかなあ、などと思ったりしますが、調べてみるとおもしろいかもしれません。

(2008/11/03)

・・・
追記

葉つきみかん様より以下のコメントをいただきました。

 「涙は本当に俺のせい?」というのは女性が浮気してるのを疑っているのかな〜なんてほのかに感じてしまいました。

とのこと。なるほど〜!!!とほんとに目からウロコです。
そうしてみると、浮気をしているかもしれない女性にたいして遠回しに自分の疑惑を告げているのですね。
一転して、すごーく知的な歌に思えてきました。経正さま、文句言ってごめんなさい!

和歌に織りこまれたいろいろな要素を、きちんとよみとれるようになりたい…
ご指摘、ありがとうございました<(_ _)>
(2008/11/08追記)

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