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■行慶

行経など、諸本に異なる表記がある。尊卑分脈に、藤原光頼の子に該当者が見えず、未詳。

▼登場する主な章段
経正都落  (岩波文庫『平家物語』1999)
相変わらず地味な公式記録をたよりに、妄想の世界へ進んでいきましょう!

こむすび的行慶

 ●名残ををしみて
 またでました、伝未詳!地味どころか、「経正都落」にしか出てこない行慶さま。しかし唯一の登場シーンではしっかり存在感を発揮しています。青山を守覚法親王に返した経正は、人々に見送られて仁和寺をあとにします。すると…だれかがついてくる。
其中にも経正の幼少の時、小師でおはせし大納言法印行慶と申は、葉室大納言光頼卿の御子也。あまりに名残ををしみて、桂川のはたまでうちおくり、さてもあるべきならねば、それよりいとまこうて、泣ゝわかれ給ふに、法印こうぞ思ひつゞけ給ふ。
   あはれなり老木わか木も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ
経正の返事には、
   旅ごろも夜なよな袖をかたしきておもへばわれはとほくゆきなん(経正都落)
 小師というのは「受戒してまだ師を離れない年若い僧」と岩波の注にありました。燈屋的には経正お稚児時代に二十代前半で、お勉強の指導にあたっていた人というような設定。
 経正のところでも「経正都落」にはふれましたが、経正の潔さにひきかえ、どうも行慶さまの方は未練がましい。ついて来るし。そんなところから、行慶さまは「あのときこうすればよかった!」というような、なにか後悔の念をもっているような気がして、漫画ではそのあたりを妄想たくましく捏造しました。お互い思いあっているはずなのに、すれ違う。そんな感じの二人です。経正がさっと旗をひるがえして、土煙をあげながら去っていったあと、涙にくれた行慶さまがひとりたたずんでいる姿が目に浮かびますねー。
 容姿的には、地味だけど整った顔だち、というイメージです。髪がサラサラだったのは、当初ボーズラブ(…)を描く根性がなかったため。あと着実に正道を歩む感じではなく、少し斜めな感じを出したかったため。漫画が2話に入ったところから、突然坊主頭になりました。これは経正に心を寄せてしまった、それなのに彼の思いを受けとめられなかった、そんな自分自身への戒めとして仏道に生きる決意を示していただこう、という出来心でした。ちょっとやりすぎたかと、あまりにも行慶さまへのテンションがさがった自分を省みるにつけ、反省しています。


行慶への道

 ●行慶さまのパパ
 伝未詳ながらも、唯一の手がかりはお父上の名前がはっきり出ていること。藤原(葉室)光頼。桂大納言とも。この方は1124年(天治元年)の生まれということですから、息子なら1140〜50年頃誕生でしょうか。経正より年上で、ちょうどいい感じだと思います。

 ●大和尚!!
 「都落」のときには「法印」という肩書きがついていますが、これは僧位のなかで最高のものだそうです。「法印とは、『法印経』という仏経のなかから出た詞で、法華一乗の法をもって衆生を利することが月光の江水に印するがごとき意である。(中略)とにかく法印大和尚とは、種姓学徳の具備しているものをいったのであるから、最高の僧位としたのである。」(『官職要解』)…実は、えらくなってたんですね。