行経など、諸本に異なる表記がある。尊卑分脈に、藤原光頼の子に該当者が見えず、未詳。
▼登場する主な章段
経正都落 (岩波文庫『平家物語』1999)
相変わらず地味な公式記録をたよりに、妄想の世界へ進んでいきましょう!
其中にも経正の幼少の時、小師でおはせし大納言法印行慶と申は、葉室大納言光頼卿の御子也。あまりに名残ををしみて、桂川のはたまでうちおくり、さてもあるべきならねば、それよりいとまこうて、泣ゝわかれ給ふに、法印こうぞ思ひつゞけ給ふ。小師というのは「受戒してまだ師を離れない年若い僧」と岩波の注にありました。燈屋的には経正お稚児時代に二十代前半で、お勉強の指導にあたっていた人というような設定。
あはれなり老木わか木も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ
経正の返事には、
旅ごろも夜なよな袖をかたしきておもへばわれはとほくゆきなん(経正都落)
●行慶さまのパパ
伝未詳ながらも、唯一の手がかりはお父上の名前がはっきり出ていること。藤原(葉室)光頼。桂大納言とも。この方は1124年(天治元年)の生まれということですから、息子なら1140〜50年頃誕生でしょうか。経正より年上で、ちょうどいい感じだと思います。
●大和尚!!
「都落」のときには「法印」という肩書きがついていますが、これは僧位のなかで最高のものだそうです。「法印とは、『法印経』という仏経のなかから出た詞で、法華一乗の法をもって衆生を利することが月光の江水に印するがごとき意である。(中略)とにかく法印大和尚とは、種姓学徳の具備しているものをいったのであるから、最高の僧位としたのである。」(『官職要解』)…実は、えらくなってたんですね。