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■竹生島詣

 大将軍維盛・通盛はすゝみ給へ共、副将軍経正・忠度・知教・清房なンどはいまだ近江国塩津・貝津にひかへたり。其中にも経正は、詩歌・管弦に長じ給へる人なれば、かゝるみだれの中にも心をすまし、湖のはたに打出て、遥に奥なる島を見わたし、供に具せられける藤兵衛有教を召して、「あれをばいづくといふぞ」ととはれければ、「あれこそ聞え候竹生島にて候へ」と申。「げにさる事あり。いざやまゐらん」とて、藤兵衛有教・安衛門守教以下、侍五六人召し具して、小舟に乗り、竹生島へぞわたられける。
 比は卯月中の八日の事なれば、緑に見ゆる梢には、春のなさけをのこすかとおぼえ、澗谷の鶯舌声老て、初音ゆかしき郭公、をり知りがほに告げわたる。松に藤なみ咲きかゝつて、まことにおもしろかりければ、いそぎ舟よりおり、岸にあがッて、此島の景気を見給ふに、心も詞も及ばれず。彼秦皇・漢武、童男・丱女をつかはし、或方士をして、不死の薬を尋ね給ひしに、「蓬莱を見ずは、いなや帰らじ」といッて、徒に舟のうちにて老、天水茫々として求事をえざりけん蓬莱洞の有様も、かくやありけむとぞ見えし。或経の中に、「閻浮提のうちに湖あり。其中に金輪際よりおひ出たる水精輪の山あり。天女すむ所」と言へり。則此島の事なり。経正、明神の御まへについゐ給ひつゝ、「夫、大弁功徳天は、往古の如来、法身の大士也。弁才・妙音二天の名は、各別なりといへ共、本地一体にして、衆生を済度し給ふ。一度参詣の輩は、所願成就円満すと承はる。たのもしうこそ候へ」とて、しばらく法施まゐらせ給ふに、やうやう日暮、ゐ待の月さし出て、海上も照わたり、社壇も弥かゝやきて、まことに面白かりければ、常住の僧共、「聞ゆる御事なり」とて、御琵琶をまゐらせたりければ、経正、是をひき給ふに、上玄・石上の秘曲には、宮のうちもすみわたり、明神、感応にたへずして、経正の袖のうへに、白竜現じて見え給へり。忝くうれしさのあまりに、なくなくかうぞ思ひつゞけ給ふ。
 千はやふる神にいのりのかなへばやしるくも色のあらはれにける
されば、怨敵を目前にたひらげ、凶徒を只今攻め落さむ事の疑なしと悦ンで、又舟にとり乗ッて、竹生島をぞ出られける。