>> gallery > 人物紹介 > 平経正

■平 経正

生年未詳〜寿永3年(1184年)
平経盛の長男。正四位下、左兵衛佐、皇太皇后宮亮、但馬守。
琵琶の演奏に長じ、幼時、仁和寺第五代御室覚性法親王に仕えた。『新勅撰集』『新拾遺集』などの入集歌人でもあった。
勅撰集入集歌

▼登場する主な章段
7(北国下向)・竹生島詣経正都落・青山之沙汰・(一門都落) 8緒環 9知章最期・(落足)
  ※( )は名前のみの登場  (岩波文庫『平家物語』1999)
地味な公式記録をたよりに、妄想の世界へ進んでいきましょう!

こむすび的経正

 ●おすがた
 お稚児としてかわいがられていたというので、容姿端麗は決定。描くときはまずは全力で美しく!そして年を追うごとに瞳に強さを足していこうとしているのですが、これが難しい…。気合いが入りすぎてまつげを描きすぎ、舞浜さんに「これじゃローリー(寺西)だ」と指摘されたりもします。なんだかしんどい目にあうことが多いので、高確率で眉間にシワがよっています。あと美しい音を生みだす指はキレイに描きたいと思っていますが、ほぼ思っているだけです。

 ●こころばえ
 平家花揃という素敵なものの存在を知ったとき、「経正はどんなに素敵なお花かしら♪フフ」と超ウキウキで調べた結果は「冬の庭」!!(花じゃないじゃん…)という衝撃的なものでした。しばらく落ち込みましたが、…クールビューティなんだわ、そうよきっと!といいように解釈し、自分を納得させました。お稚児は一般的な学問や教養を身につけるそうですが、仏に近いところに5年間もいたのだから、そのへんの公達よりは透徹した視線をもつはず。(とはいえ仁和寺乱れてそうでちょっと心配)そこを基盤にして、媚びない、甘えない、周りからしたらとらえどころのない、悪く言うと何考えてんのかわかんない、あの人キレイだけどとっつきづらいんだよね、そんなふうな人を思いうかべています。先日聞いた琵琶の秘曲の音色は和琴の華やかさとは大違い、想像以上に重い響きでした。その音もなんだか経正と重なる気がしています。


経正への道

 ●お年問題
 謡曲『経政』が出会いであったためか、心ならずも戦に巻きこまれた繊細な公達のイメージの経正。清経や忠度と違い、「十六」という少年の面影のある面をかけることもあり、1184年討ち死にのとき、二十歳そこそこと信じていました。だがしかし!! 経正が仕えた覚性法親王は1169年に亡くなっているということが判明。少なくとも1169年前後まで仁和寺にいたとして、元服は十三歳とありますから…えーと、まあ今でいう十二歳くらいとして。どんなに若く見つもっても1157年以前に生まれているのではないかと。そして亡くなったときせめて二十代であってほしいという勝手な願いから、1155年生とこれまた勝手に決めました。1167年7月淡路守にという情報もありましたので、これが元服のときだといいなあと思ってます。そうしたら、ホラぴったり!? そうするとパパ経盛は三十すぎてしまうのですが、ご勘弁ください。

 ●『平家物語』から
 平家物語の中でも登場ぶりは少々地味な経正ですが、その姿が一番詳細に語られているのはなんといっても「経正都落」ですよね。そこで経正が琵琶を返し、お暇したあと、桂川までついてくるのが稚児時代の師であった行慶さま。能でもワキとして、経正の亡霊に一番近いところにいます。これは法親王の姿が重ねられているのではないかということをよく聞きますが、能の作者(不明だが世阿弥とも)もあえて行慶さまにしたんじゃないかと思うのです。だってこの名残惜しがりぶりといったら…

旅ごろも夜なよな袖をかたしきておもへばわれはとほくゆきなん

二人の進む道は二度と交わることはないのです、今はこんなに近くにいるのに。何か得体の知れないものが二人の間を隔てている。心ならずも都をはなれていく経正。あ〜切ない! というわけで泣く泣くお別れをする二人。ところがお別れをして振りかえった経正の目にはもう涙はなく、彼は昂然と前をむいて赤旗をざっとさしあげます。そこに集まってくる侍たち!

さて巻いて持たせられたる赤旗、ざッとさしあげたり。あそこ、こゝにひかへて待奉る侍共、「あはや」とて馳あつまり、その勢百騎ばかり、鞭をあげ、駒をはやめて、程なく行幸に追ッつき奉る。

ここの情景が本っ当に好きです!! 振り返る瞬間の経正の顔とか、ひらめく旗の赤さとか、ここを描くために漫画を描きすすめているといっても過言でありません。運命を受け入れた強さを感じるのです。逃げない、という。心ならずもお稚児にされたり、戦いに巻きこまれたり。そのなかで繊細な少年が秘めた強さをもつ青年へと成長する過程、それも興味津々ですねえ。きっとあんなことやこんなことや…いろいろひろっていきたいです。

 その少し前の「竹生島詣」ではなんだか呑気な感じの経正。お舟に乗って竹生島にわたり、

凶徒を只今攻め落さむ事の疑なしと悦ンで…

いやいや、よろこんでる場合じゃないだろ、とつっこみたくなってしまう場面。平家は残念ながら空気というか戦況を読めてない感が全体的に濃厚ですが、経正の登場場面にはもれなく贔屓フィルターがかかります。ここでは経正は一門の行く末を確信してほしい。白竜が現れたのがどういうメッセージであったのかはわからないけど(そのへんはこれからねつ造しますけど)、勝つって思ってない。負けるってわかったんだ、きっと。でもそれは自分の胸に秘めておく。そう考えると都落ち(↑)のときの潔さがいっそう鮮やかでしょ!? ええ、ええ、深読みなのは承知の上です!!

 「青山之沙汰」では

此経正、十七の年、宇佐の勅使を承はッてくだられけるに、其時、青山を給はッて宇佐へ参り、御殿にむかひ奉り、秘曲をひき給ひしかば、いつ聞なれたる事はなけれ共、ともの宮人おしなべて、緑衣の袖をぞしぼりける。聞知らぬやつこまでも、村雨とはまがはじな。目出かりし事共なり。

との記述があります。
 宇佐の勅使というのは「宇佐使 天皇の御即位あらせられたときや、国家に大事があったとき、使を宇佐神宮に遣わして、奉幣なされたものである。」(『官職要解』和田英松 S58)ということです。高倉帝即位後か、安徳帝かどっちかですね。青山を給わるのに前後してということならば、高倉帝の宇佐使になってほしい! 即位後どういうタイミングで遣わされるかもわかっていないので、それもあわせて調べてみると年齢を考えるヒントになりそうですね。安徳帝即位前後に17歳だと敦盛とあまり年も違わず素敵な感じですが…御室との関係や歌合の記録を考えるとそれは無理っぽいなあ。経正好きを混乱に陥れるこの記述。でも十七の年っていい響き…早く描きたい… ちなみに経正と青山は、アラジンと魔法のランプみたいな関係を想定しています。出るんです!

そして経正への道は果てしなく

 といういうことで史料や文献で経正の名前を見かけたら、ちょこちょこここに加えていこうと思ってます。どうぞお付き合いくださいませ<(_ _)>